成長というのは思ったものより地味なのかもしれない
楽しい成長と地味な成長を分けて考えながら、自分の一部になる成長について書く。
私は日々成長したいと考えている。最近、成長にも楽しい成長と地味な成長があると考えておりいかに示す。
まず楽しい成長について。ここでいう楽しい成長とは成長に必要な研鑽、勉強を常にし続けてしまう成長である。
この状態では常にその一つのことを考えてしまい常に知識を吸収し続ける。もちろん自分自身が急激に短期間で成長したことを実感するため、ある程度までは飽きることがない。
こういう成長は自分にとって新しい概念、新しい分野に触れたときにおこることが多い。今まで触れてなかったうえ面白さを知らなかったがその分野を始めることで面白さを知る。
また、習得が比較的に容易な分野で起こると感じている。具体的に言うと習得に十分長い時間を必要としない分野である。個人の好みも反映されると思うが結果を得やすい分野はそれなりに楽しさが続くものだと思う。
最近楽しかった習得というとやはりAI分野だろう。必要な勉強量に対してできることの幅があまりにも大きかった。適度に難しいポイントがあったのも大きい要因だと思う。
ただ人生に必要な成長というのは地味な成長なんじゃないかと最近思うようになった。
時間はかかり、面白さも即座に生えられないけど、人生をかけて自分の一部となるような成長。それこそが”自分の”成長になるのかもしれない。
生まれ持ったものを使ってもいいし、誰かが作ったものを使ってもいい。ただ自分が身に着けたものを使うのが生きていくことにつながると思う。
でも地味な成長は苦しい、というか何もなさすぎるし逆に変化がありすぎる。
目に見える変化はないのに行動は大きく変える必要があるので見返りを求めて行動する人にとって苦しいものとなる。
結果を求めるのではなくその行動をするべきだと思うならその行動をする。その単純なことが難しい。
一瞬死ぬ気でやるのではなく、一生当たり前のようにやるのが自分にとってとても苦しい。初めは本当に違和感しかない。やらなくていいという考えが反射で浮かぶ。
でも一個一個達成していこうと思う。一生やることを一つずつ増やす。そしたらいつか本当に必要な成長。自分が生きていく中で身に着けたものができると信じている。それが生きることなのかなと思う。