現代日本人にとっての宗教
科学を信じる感覚と宗教や哲学への必要性のあいだで、現代日本人にとっての拠り所を考える。
信仰している宗教がある人はいいなと思っている。私個人は明確に何かの宗教を信仰しているわけではないので教義も経典もない。
ただ、日本で生きている以上ベースとなるものは教えられたり触れたりしている気がする。道徳的な教えだったり、暗黙の了解だったりで何かが現代日本にも残っているのだろう。
外国の宗教観はわからないので今回は現代の日本に関してという題で書こうと思う。外国の宗教観も気になりはするけど実際に話さないと体感できないんじゃないかな。
正直、宗教に頼れる人のことをうらやましい。死の恐怖や困難に対して解決策が明言されているからだ。
自分にはそういった教えがないのでそういったものに対する解決はすべて自分の中で最後はけりをつけなければいけない。そのために多くのことを知り、学ぶ必要がある。
今からでも何かに入信すればいいじゃないかとも思う。ただ、今から信じるには科学の力が大きすぎてなかなか難しい。
科学が正しくてスピリチュアルなことが間違っているとかの話ではない。私自身が科学に頼り、科学を信じ切ってしまっているということだ。
科学を使うことで暮らしは豊かになったが、人生の課題が解決できなくなっているかもしれない。どうすれば最後の精神的な納得を得られるのだろうか。
現代日本では科学と相反さない宗教、教え、哲学が必要である。
幸せに生きるには、死を納得するにはどうしたらいいのかを学ぶ必要がある。
幸いにも現代は情報にアプローチするのが容易であり、自分にとって合う教えを見つけるのは難しくない。
ただ、その見つけた解決策、この言葉があっているのかもわからないが見つけたことを実践するのには相当な時間がかかる。というか一生。
これを受け入れられるかという話になると思う。課題があって解決する。このプロセスばかりを踏んできた自分に一生という実践が可能なのかというのが実際問題である。
具体的な解決策には今回触れなかったが、まあ頑張ります。一生。
頑張るというのも違うか。