朝が辛さMAXなことへの疑問
朝がつらい理由を考えながら、罪悪感や固定観念とどう付き合うかを自問する。
朝辛い。起きるのが辛い。おかしい。
なぜこんなにも朝の動きが遅いのだろうか。まず、朝にせかせかしたくない。そもそも朝の始めがみんな早いんだ。だからこっちが焦らなきゃいけない。
つまりこっちが朝早く起きないといけないということだ。そうなってくるとくらい時間に起きないといけないじゃないか。それもおかしい。
そもそも寝てる状態から起きる状態になるのに辛いのがおかしいのか。それともそれが普通なのか。自然に起きるまでにベッドで待ってたほうがいいのかな。
てか朝ゆっくりしていると時間を無駄にしているという固定概念がよくないんじゃないか。朝3時間と夜3時間では時間の貴重さが全然違う。朝の時間が貴重過ぎて朝だらだらしてしまうと罪悪感に駆られてしまう。夜ダラダラしても罪悪感はないのに。
この朝にフルで動くというのはもう本能なのだろうか。いやフルで動いてはないんだけど。フルで動かなきゃいけないという固定概念がとても強い。夜は全然休息の時間の感覚があるのに。
寝る前に働くのは良くないというしね。じゃあ朝はフルで動かなきゃいけないというのもよくわからんけどね。ゆっくりでもよくない?でも朝ゆっくりだと一日がゆっくりになってしまう感覚があるんだよね。そこの危機感はある。
じゃあやっぱり朝はできる限り動かなきゃダメじゃない?一日の活動量が決まるんだよ。でも朝動くのはつらいよ。
まずは動き出せばいいんじゃない?それが辛いよね。結局辛いならもう受け入れて朝に辛いことをやろうよ。朝を乗り切れればその日は快適なんだから。
そんな考え嫌だけどな。一日の始まりが辛いって考えられないけど。おかしい。みんなどうしているんだろう。なんだかんだみんなバタバタしているよな。
辛いなら生産的なことしたらいいかもね。朝が過ぎたら自己肯定感が上がる。これがいいんじゃない?耐えるというより挑戦だよね。
朝はつらい。確かにつらいけどそれは挑戦だから。じゃあ明日も挑戦で始めよう。